忠犬ハチ公は何年待った?実話と銅像へのアクセス。待ち合わせとして人気スポットを深く知ろう。

「忠犬ハチ公は何年待ったのだろう?」多くの人が一度は抱くこの疑問。この記事では、忠犬ハチ公の物語のあらすじから、物語の背景、これっていつの話?といった時代背景までを詳しく解説します。
飼い主の上野英三郎とハチの死因、そしてハチ公の犬種が賢い秋田犬である理由にも迫ります。巷でささやかれる、待ち続けた真実は焼き鳥のため?という説の真相も探ります。
さらに、忠犬ハチ公は何年待った?という問いと共によく検索される銅像の場所についても徹底ガイド。
ハチ公の銅像は一体どこにあるのか、渋谷と大館にあるハチ公の銅像それぞれの特徴、なぜ待ち合わせ場所として有名になったのか、そして渋谷駅ハチ公像へのアクセス方法まで、知りたい情報を網羅しました。
この記事を読めば、忠犬ハチ公は何年待ったか総まとめとして、ハチ公に関するあらゆる知識が深まるでしょう。
- ハチ公が主人を待ち続けた正確な年数とその生涯
- ハチ公と飼い主・上野博士の感動的な物語の全貌
- 渋谷と故郷・大館にある銅像の場所と詳細な情報
- ハチ公が待ち続けた理由に関する様々な説の真相
忠犬ハチ公は何年待った?その感動秘話
- 忠犬ハチ公の物語のあらすじ
- 物語の背景、これっていつの話?
- 飼い主の上野英三郎とハチの死因
- ハチ公の犬種は賢い秋田犬
- 待ち続けた真実は焼き鳥のため?
忠犬ハチ公の物語のあらすじ
忠犬ハチ公の物語は、飼い主への深い愛情と忠誠心を描いた実話です。ハチは1923年(大正12年)に秋田県大館市で生まれ、翌年、東京帝国大学農学部教授であった上野英三郎博士のもとへやってきました。博士はハチを我が子のように可愛がり、どこへ行くにも一緒でした。ハチも博士によく懐き、博士が大学へ通勤する際は渋谷駅まで送り迎えをするのが日課となります。
しかし、幸せな日々は長くは続きませんでした。1925年(大正14年)5月、ハチが博士と暮らし始めてからわずか1年半後、博士は大学で講義中に脳出血で倒れ、突然この世を去ってしまいます。
もちろん、ハチは主人の死を理解できません。その日以降、雨の日も雪の日も、毎日渋谷駅の改札口前で、帰らぬ主人を待ち続けるようになります。
その一途な姿は多くの人々の心を打ち、新聞で報道されると「忠犬ハチ公」として全国に知られるようになりました。ハチが主人を待ち続けた期間は、博士の死後、自身が亡くなるまでの約10年間に及びます。この健気な行動こそが、今なお語り継がれる物語の核心なのです。
物語の背景、これっていつの話?
ハチ公の物語が繰り広げられたのは、日本の大正時代から昭和初期にかけてです。ハチが生まれたのは1923年(大正12年)、亡くなったのは1935年(昭和10年)であり、まさに日本が近代化の道を歩む激動の時代でした。
ハチが上野博士と暮らした渋谷は、現在のような高層ビルが立ち並ぶ街ではありませんでした。当時はまだのどかな風景が広がり、人々の服装も和装が主流の時代です。
そんな中で、洋犬ではなく日本の固有種である秋田犬を連れて歩く博士の姿は、当時の人々の目に新鮮に映ったことでしょう。
当時の犬の飼育環境
今とは違い、当時は犬を放し飼いにすることも珍しくありませんでした。ハチが毎日渋谷駅まで送り迎えできたのも、そうした時代背景があったからこそです。ハチは博士に送り届けられた後、自分で道を覚えて家に帰っていました。
ハチの忠誠心が新聞で取り上げられ、銅像が建てられた昭和初期は、日本が戦争へと向かう不穏な空気が漂い始めた頃でもあります。
そのような時代だったからこそ、主人への恩を忘れないハチの姿が「忠義」の象徴として、より一層人々の心を捉えたのかもしれません。
飼い主の上野英三郎とハチの死因
ハチ公の物語を語る上で欠かせないのが、飼い主である上野英三郎博士の存在です。博士は近代日本の農業土木学の基礎を築いた偉大な学者でした。現在の東京大学農学部の前身である東京帝国大学で教鞭をとり、日本の農業発展に大きく貢献した人物として知られています。
子供がいなかった博士夫妻にとって、ハチは実の子同然の存在でした。食事も寝るのも一緒で、深い愛情を注いでいたといいます。博士の死因は、前述の通り1925年(大正14年)5月21日の脳出血による急死でした。享年53歳という若さでした。
ハチ公の本当の死因
一方、主人を待ち続けたハチは1935年(昭和10年)3月8日、11歳でその生涯を閉じました。長らく、ハチの死因は心臓に寄生するフィラリア症であるとされてきました。しかし、近年の研究で新たな事実が判明しています。
2011年、東京大学の研究チームがハチの保存されていた臓器を詳しく調査した結果、心臓と肺に悪性の腫瘍(がん)が見つかりました。このことから、フィラリア症だけでなく、がんもハチの死に大きく影響したと考えられています。
また、胃の中からは焼き鳥の串が数本見つかっており、これも消化器系に負担をかけていた可能性が指摘されています。(参照:東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医病理学研究室)
ハチ公の犬種は賢い秋田犬
ハチ公の犬種は、日本を代表する大型犬である「秋田犬(あきたいぬ)」です。秋田犬は国の天然記念物にも指定されており、その歴史は古く、江戸時代に秋田地方でマタギ(狩人)が熊などを狩るための猟犬として活躍していたのがルーツとされています。
秋田犬の性格には、以下のような特徴があります。
- 忠誠心: 飼い主と認めた相手には絶対的な忠誠を誓い、深い愛情を示します。ハチ公の行動は、まさにこの秋田犬の性質を象徴しています。
- 賢さと冷静さ: 非常に賢く、状況判断能力に優れています。普段は落ち着いていて物事に動じない冷静さを持っています。
- 警戒心と勇敢さ: 家族や縄張りを守ろうとする意識が強く、見知らぬ人には警戒心を抱くことがあります。その一方で、いざという時には非常に勇敢な一面を見せます。
飼育の注意点
秋田犬は忠実で魅力的な犬種ですが、その力の強さと警戒心の強さから、初心者向けの犬種とは言えません。飼育するには、子犬の頃からのしっかりとしたしつけ(社会化トレーニング)と、十分な運動量を確保できる環境が必要です。
この飼い主に一途で、媚びない性格が、日本人のみならず海外の愛好家からも高く評価されている理由でしょう。ヘレン・ケラーやロシアのプーチン大統領に贈られたことでも有名です。
待ち続けた真実は焼き鳥のため?
ハチ公の美しい物語には、少しだけ現実的な説も存在します。それは「ハチが渋谷駅に通ったのは、亡き主人を待つためではなく、駅前の屋台で貰える焼き鳥が目当てだったのではないか」というものです。
この説が囁かれるようになった背景には、いくつかの理由があります。
- 解剖結果: ハチの死後、解剖したところ胃の中から焼き鳥の串が4本見つかったという記録が残っています。
- 動物行動学的な視点: 動物は報酬(ご褒美)がない行動を長期間続けることは難しいとされています。上野博士に会えないという状況が続けば、駅で待つ行動は自然と消えるはずで、代わりに「行けば食べ物がもらえる」という報酬が行動を強化したのではないか、という考え方です。
確かに、有名になってからのハチは、駅員や周辺の店主、通行人などから頻繁に食べ物をもらっていました。しかし、当初は汚い野良犬と間違われ、追い払われることも少なくなかったのです。それでも通い続けたことを考えると、食べ物だけが目的だったとは言い切れないでしょう。
おそらく、最初は純粋に「博士に会いたい」という一心で駅へ向かい、そこで人々の優しさに触れるうちに、「駅へ行くこと」自体がハチにとって心地よい習慣になっていったのかもしれませんね。真実はハチにしか分かりませんが、博士への愛情が全ての始まりであったことは間違いないでしょう。
忠犬ハチ公は何年待った?銅像の場所
- ハチ公の銅像は一体どこにある?
- 渋谷と大館にあるハチ公の銅像
- なぜ待ち合わせ場所として有名?
- 渋谷駅ハチ公像へのアクセス方法
ハチ公の銅像は一体どこにある?
忠犬ハチ公の銅像は、日本国内に複数存在しますが、最も有名なのは以下の2か所です。
- 東京都渋谷区: JR渋谷駅前広場
- 秋田県大館市: JR大館駅前 観光交流施設「秋田犬の里」正面入口前
この他にも、ハチ公と上野博士が再会を喜ぶ姿を模した像が東京大学農学部キャンパス内に設置されています。多くの人がイメージする「ハチ公像」は、やはり渋谷駅前の銅像でしょう。ここはハチが実際に主人を待ち続けた場所であり、物語を象徴する聖地となっています。
一方で、秋田県大館市はハチの生まれ故郷です。ふるさとにもハチの功績を讃える銅像が建てられており、地元の人々に愛され続けています。
渋谷と大館にあるハチ公の銅像
最も有名な渋谷駅と、故郷である大館駅の銅像には、それぞれ歴史と特徴があります。どちらも一度は戦争で金属供出されましたが、戦後に人々の熱意によって再建されたという共通点を持っています。
項目 | 渋谷駅前のハチ公像 | 大館駅前のハチ公像 |
---|---|---|
場所 | JR渋谷駅 ハチ公口前広場 | JR大館駅前「秋田犬の里」前 |
初代建立 | 1934年(昭和9年) | 1935年(昭和10年) |
再建 | 1948年(昭和23年) | 1987年(昭和62年) |
特徴 | ハチ公が亡くなる前年に建立され、除幕式にはハチ公自身も参加した。現在の像は2代目。 | 初代は渋谷像と同じ原型。戦後長らく群像だったが、ハチ公没後50年を機に再建された。 |
耳の形に注目
渋谷の銅像は両耳がピンと立っていますが、大館市の秋田犬会館前にある「望郷のハチ公像」は左耳が垂れています。これは、他の犬との喧嘩で噛まれて耳が垂れてしまった晩年のハチの姿を忠実に再現したものです。
なぜ待ち合わせ場所として有名?
渋谷のハチ公像が「日本一有名な待ち合わせ場所」と言われるようになったのには、いくつかの理由が考えられます。
- 圧倒的な知名度: 忠犬ハチ公の物語は教科書にも掲載され、映画化もされたことで、世代を問わず誰もが知る存在となりました。そのため、説明不要の目印として最適でした。
- 駅改札からの近さ: 像が設置されているのは、JR渋谷駅の主要な改札口である「ハチ公口」を出てすぐの場所です。誰にとっても分かりやすく、アクセスしやすい立地が待ち合わせ場所として定着する大きな要因となりました。
- 物語との親和性: 「誰かを待つ」というハチ公の物語そのものが、「待ち合わせ」という行為と非常に親和性が高かったことも挙げられます。大切な人を待つ場所として、これ以上ふさわしいシンボルはなかったのです。
これらの理由から、ハチ公像は単なる銅像ではなく、多くの人々の出会いを見守る東京・渋谷のランドマークとしての役割を担うようになりました。
渋谷駅ハチ公像へのアクセス方法
渋谷駅は多くの路線が乗り入れる巨大なターミナル駅ですが、ハチ公像への行き方は非常にシンプルです。
JR線を利用する場合
最も分かりやすいのは、JR山手線や埼京線などを利用する方法です。改札を目指す際は、「ハチ公改札」または「ハチ公口」という案内表示に従ってください。この改札を出ると、目の前がスクランブル交差点とハチ公前広場になっています。広場の中央付近に銅像が鎮座しているのですぐに見つけられます。
私鉄・地下鉄を利用する場合
東急東横線、田園都市線、東京メトロ半蔵門線、副都心線などを利用する場合は、地下通路で繋がっています。出口案内の「A8」出口を目指してください。この出口がハチ公前広場に直結しています。
駅構内は非常に複雑ですが、「ハチ公」の名前がついた案内を探せば迷うことはほとんどありません。初めて渋谷を訪れる方でも、安心してたどり着けるでしょう。
忠犬ハチ公は何年待ったか総まとめ
- ハチ公は飼い主の上野博士の死後、約10年間渋谷駅で待ち続けた
- 物語の時代背景は大正から昭和初期にかけて
- ハチの飼い主は東京帝国大学教授の上野英三郎博士
- 上野博士の死因は講義中の脳出血だった
- ハチの死因はフィラリア症とがんが複合したものと考えられている
- ハチ公の犬種は日本原産の秋田犬
- 秋田犬は飼い主に忠実で賢い性格を持つ
- ハチが駅に通ったのは焼き鳥目当てだったという説もある
- しかし当初は追い払われても通い続けたため愛情が原動力とされる
- 最も有名な銅像はJR渋谷駅ハチ公口前にある
- ハチの故郷である秋田県大館市にも銅像がある
- 渋谷のハチ公像は戦後に再建された2代目
- 渋谷駅の「ハチ公口」または地下通路「A8出口」からアクセスできる
- 東大農学部には博士と再会を喜ぶ姿の像も存在する
忠犬ハチ公像の情報
公式サイト | 東京の観光公式サイト |
住所 | 〒150-0043 東京都渋谷区道玄坂2丁目1 |
営業時間 | ー |
料金 | ー |
電話番号 | ー |
忠犬ハチ公像の交通アクセスは? | JR渋谷駅駅前 |