
福岡県久留米市にある久留米城跡は、江戸時代に久留米藩21万石を治めた有馬氏の居城跡です。現在は天守や櫓などの建物こそ残っていませんが、高く積まれた石垣や内濠、本丸跡などが残り、城内には篠山神社と有馬記念館があります。
久留米城跡を調べていると、どんな歴史を持つ城なのか、有馬豊氏とはどんな人物なのか、天守はあったのか、現在も石垣が残っているのか、続日本100名城のスタンプはどこにあるのか、御城印はあるのか、桜の見頃や駐車場、JR久留米駅からのアクセスなどが気になりますよね。
久留米城は筑後川沿いの小高い丘に築かれた平山城で、毛利秀包や田中氏の時代を経て、1621年に有馬豊氏が入城してから本格的な城郭へと整備されました。この記事では、久留米城跡の歴史、石垣や本丸跡の見どころ、篠山神社、有馬記念館、桜、所要時間、料金、駐車場、アクセスまで詳しく紹介します。
- 久留米城跡と有馬氏の歴史
- 石垣・内濠・本丸跡など現在の見どころ
- 篠山神社と有馬記念館の楽しみ方
- 料金・所要時間・駐車場・アクセス
久留米城跡とは?筑後21万石の有馬氏の居城
久留米城跡は、福岡県南部を代表する近世城郭の一つです。筑後川を背後にした天然の要害に築かれ、江戸時代には久留米藩の政治の中心となりました。
筑後川沿いの小高い丘に築かれた平山城
久留米城は、筑後川沿いの小高い丘に築かれた平山城です。
現在の所在地は福岡県久留米市篠山町444。久留米市街地の北西部に位置しています。
城の北側と西側には筑後川があり、かつて東側には広い湿地帯が広がっていました。
つまり、川と湿地という自然の地形を防御に利用できる場所だったわけですね。
現在は周囲の市街化が進んでいるため分かりにくくなっていますが、城跡へ近づいて石垣を見上げると、本丸が周囲より高い場所に置かれていたことを実感できます。
古くは笹原城と呼ばれていた
久留米城は、古くは笹原城とも呼ばれていました。
城が築かれたのは永正年間(1504~1521年)とされています。
戦国時代末期には高良山勢力の出城となり、高良山座主・良寛の弟である麟圭が居城としていました。
現在見ることのできる大規模な石垣の城が最初から存在していたわけではありません。
戦国時代から江戸時代へと城主が変わる中で改修され、特に有馬氏の時代に大きく姿を変えていきました。
毛利秀包が久留米城主となる
久留米城が近世大名の城として歩み始める大きな転機が、豊臣秀吉による九州平定です。1587年、毛利秀包が久留米城へ入ります。
1587年に毛利秀包が入城
天正15年(1587年)、豊臣秀吉が九州を平定すると、その後の九州国割によって毛利秀包が久留米城主となりました。
秀包は毛利元就の九男で、小早川隆景の養子となった人物です。
久留米城が近世大名の居城として本格的に利用されるようになるのは、この毛利秀包の時代からと考えると分かりやすいです。
秀包はキリシタン大名としても知られ、久留米城下には教会が建てられたと伝えられています。
関ヶ原の戦い後は田中氏の支城になる
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後、毛利秀包は領地を失います。
代わって筑後国へ入ったのが田中吉政です。
田中吉政は柳川城を本城とし、久留米城を支城として整備しました。
久留米城には次男の田中則政が配置されています。
しかし、2代田中忠政に跡継ぎがいなかったため、元和6年(1620年)に田中家は断絶しました。
有馬豊氏が久留米城を大改修
現在の久留米城を語るうえで欠かせないのが有馬氏です。1621年に有馬豊氏が入城し、ここから約250年にわたる有馬氏による久留米藩政が始まります。
1621年に有馬豊氏が21万石で入城
元和7年(1621年)、丹波福知山から有馬豊氏が筑後北半21万石の大名として久留米へ入りました。
有馬氏はその後、明治時代の廃藩置県まで11代にわたって久留米藩を治めます。
21万石という石高からも、久留米藩が九州の中でもかなり大きな藩だったことが分かります。
現在の久留米城跡で見られる城郭の基本的な姿は、有馬氏による大改修によって整えられたものです。
大手を東から南へ変更した
有馬豊氏が入城した当時、久留米城はかなり荒れていたとされています。
豊氏は大規模な改修に着手し、それまで東側にあった城の正面を南側へ変更しました。
本丸の南側へ二ノ丸、三ノ丸、外郭を配置し、城域を南方向へ拡張します。
こうして本丸から南へ城郭が連なる構造へと整備されました。
城だけでなく城下町の整備も進められ、現在の久留米市中心部につながる都市の基礎がつくられていきます。
久留米城は有馬豊氏がゼロから築いた城ではありません。戦国時代から存在していた城を毛利氏、田中氏が利用し、1621年以降に有馬氏が大規模に改修して久留米藩21万石の本城へ発展させました。
久留米城には天守がなかった
大藩の城と聞くと大きな天守を想像しますが、久留米城には天守閣がありませんでした。その代わり、本丸を囲む櫓と多聞長屋によって重厚な城郭景観をつくっていました。
7つの隅櫓が本丸を守っていた
久留米城には天守閣がなく、本丸には7つの隅櫓が設けられていました。
それぞれの櫓を白壁の多聞長屋がつなぎ、本丸を囲む構造になっていました。
天守がないから簡素な城だったわけではありません。
高い石垣の上に複数の櫓と長屋が連続して建つ姿は、かなり迫力があったはずです。
現在は建物がすべて失われていますが、石垣の上を歩きながら櫓や長屋が並んでいた姿を想像するのも城跡巡りの楽しみですね。
本丸御殿も建てられていた
本丸には藩主が使用する御殿もありました。
久留米城本丸御殿の指図も残されており、城が軍事施設であるだけでなく久留米藩政の中心だったことが分かります。
現在の本丸は篠山神社の境内となっているため、御殿建築を見ることはできません。
それでも平坦な本丸の広さを歩いてみると、ここに藩主の御殿や櫓、長屋が並んでいたことを想像しやすいと思います。
久留米城跡最大の見どころは石垣
現在の久留米城跡で、私がまず注目したいのが石垣です。建物は残っていませんが、本丸を取り囲む立派な石垣が城だった時代の姿を伝えています。
本丸を囲む高石垣が残る
久留米城跡へ近づくと、最初に目を引くのが本丸を囲む高い石垣です。
石垣は場所によって積み方や石の大きさが異なり、長い年月の中で修理や改修が重ねられてきたこともうかがえます。
復元された現代の石垣ではなく、久留米城そのものの遺構として残っているのが魅力です。
城跡の上からだけでなく、石垣下から見上げてみてください。
本丸との高低差が分かり、城を攻める側から見れば簡単には近づけない場所だったことを感じられます。
内濠も残っている
久留米城跡では石垣だけでなく、本丸正面側の内濠も残っています。
市街地の中にある城跡では、明治以降の開発によって濠が完全に埋め立てられていることも珍しくありません。
久留米城も城域の大部分は市街地へ変わりましたが、本丸周辺では石垣と濠を一緒に見ることができます。
石垣と水濠を一つの景観として見ると、現在の神社境内とはまったく違う「城」としての姿が見えてきます。
井戸や御殿跡・櫓跡にも注目
城内には、石垣や内濠以外にも井戸、御殿跡、櫓跡などの遺構があります。
建物そのものが残っていないため、何も知らずに歩くと普通の神社境内に見えてしまう場所もあります。
現地の案内板などを確認しながら、「ここには何が建っていたのか」を意識して歩くのがおすすめです。
復元天守を見る観光とは違い、残された石垣と地形から昔の城を組み立てていく面白さがあります。
本丸跡には篠山神社が鎮座
現在の久留米城本丸跡には篠山神社があります。久留米藩祖の有馬豊氏をはじめ、有馬家ゆかりの人物を祀る神社です。
明治時代に旧藩主を祀る神社が創建された
久留米城は明治4年(1871年)の廃藩置県後に役割を終え、明治8年(1875年)までに城内の建物が解体されました。
その後、本丸跡には旧藩主を祀る御霊社が建立され、現在の篠山神社となりました。
現在の篠山神社は、久留米藩祖・有馬豊氏をはじめとする有馬家ゆかりの人物を祀っています。
そのため久留米城跡は、城郭史跡であると同時に神社の境内でもあります。
見学するときは参拝者への配慮も忘れないようにしましょう。
境内には久留米の歴史を伝える石碑が多い
篠山神社の境内には、久留米の歴史や人物に関する大きな石碑がいくつも建っています。
城跡の石垣だけを見るのではなく、境内の石碑をたどっていくと、明治以降も久留米城跡が地域の歴史を伝える場所として大切にされてきたことが分かります。
城好きだけでなく、久留米の郷土史に興味がある方にも見応えのある場所です。
続日本100名城に選ばれている
久留米城は、城巡りをしている方には「続日本100名城」の一城としても知られています。スタンプを集めながら全国の城を巡っている方なら外せません。
続日本100名城の183番
久留米城は2017年、日本城郭協会による続日本100名城の183番に選定されました。
天守や櫓が残っていなくても、本丸の石垣や内濠、城郭構造など、久留米城の歴史を伝える遺構が評価されています。
また、久留米城跡は1983年3月19日に福岡県指定史跡となっています。
「建物がないから見るものが少ない城」ではなく、現存する石垣と本丸の地形そのものを見る城と考えると楽しみやすいです。
有馬記念館で久留米藩の歴史を知る
久留米城跡を訪れるなら、同じ本丸内にある有馬記念館も合わせて見ておきたい施設です。城跡だけでは分からない有馬家と久留米藩の歴史を資料から知ることができます。
有馬家の武具や工芸品を展示
有馬記念館は久留米城本丸跡にあり、旧久留米藩主有馬家に伝わった歴史資料や美術工芸品などを収蔵・公開しています。
歴代藩主の甲冑や武具、陣羽織、姫君たちの婚礼に関係する資料など、有馬家と久留米藩を知るうえで興味深い資料を見ることができます。
石垣を見た後に資料館へ入ると、「この城でどんな人たちが暮らしていたのか」までイメージしやすくなります。
2026年10月17日から企画展を開催
2026年10月17日から2027年1月11日までは、企画展「近代久留米の日本画」が開催されます。
久留米藩の御用絵師を務めた三谷家を中心に、久留米の日本画界で活動した画家たちの作品が紹介されます。
なお、2026年度の平常展「大名有馬家と久留米城下町」前期は9月28日までで、次の企画展開始まで展示準備期間があります。
10月前半に訪れる場合は、有馬記念館の開館状況を必ず確認しておきましょう。
入館料は一般210円
2026年10月時点の有馬記念館の入館料は一般210円です。
15名以上の団体は1人150円、高校生以下は無料です。
身体障害者手帳、精神障害者保健福祉手帳、療育手帳の交付を受けている方と介護者1名についても無料制度があります。
開館時間は10:00~17:00、最終入館16:30です。
毎週火曜日が休館日で、火曜日が祝祭日と重なる場合は翌平日が休館となります。そのほか年末年始や展示準備期間にも休館します。
久留米城跡そのものはいつでも散策しやすい史跡ですが、有馬記念館には開館時間と休館日があります。資料館も目的にしている場合は、城跡へ行く前に開館カレンダーを確認しておくのがおすすめです。
久留米城跡は桜の名所
久留米城跡は歴史スポットであると同時に、春の桜でも知られています。石垣や濠と桜を一緒に見られるのが城跡ならではの魅力です。
城内には約49本の桜がある
久留米城跡には約49本の桜があります。
内訳はソメイヨシノ26本、ヤマザクラ13本、陽光桜6本、御衣黄桜3本、八重桜1本です。
種類が一つではないため、それぞれ少しずつ違った花の色や姿を楽しめます。
特に石垣や濠と桜を一緒に眺められるのがいいですね。
見頃は例年3月下旬から4月上旬
桜の見頃は、一般的に3月下旬~4月上旬です。
2026年は4月9日時点で公式観光情報が「見頃終了」と案内していました。
開花時期はその年の気温によって変わるので、桜を目的に訪れる場合は直前の開花状況を確認しましょう。
なお、久留米城跡では桜のライトアップは基本的に行われていません。
久留米城跡の見学料金と所要時間
城跡そのものは無料で見学できます。有馬記念館へ入館するかどうかで必要な時間と料金が変わります。
久留米城跡と篠山神社は無料
久留米城跡と篠山神社の散策・参拝は無料です。
石垣や内濠、本丸跡、篠山神社などを見て歩くだけなら料金はかかりません。
有馬記念館へ入る場合のみ別途入館料が必要です。
城跡だけなら30~45分程度が目安
石垣、本丸跡、篠山神社を一通り見て歩くなら、30~45分程度を一般的な目安として考えるといいでしょう。
石垣を外側からじっくり見たり、境内の石碑を確認したりするなら1時間程度あると余裕があります。
さらに有馬記念館を見学するなら、全体で1時間~1時間30分程度をみておくと回りやすいです。
城跡の見学時間について公式な標準時間が設定されているわけではないため、これらはあくまで散策の目安です。
久留米城跡の駐車場
久留米城跡には無料駐車場があります。ただし台数はそれほど多くないため、桜の時期や休日は公共交通機関も検討すると安心です。
無料駐車場は約15台
久留米城跡には自家用車約15台分の無料駐車場があります。
篠山神社の境内ロータリーに約7台、石垣下東側の駐車場に約8台が目安です。
有馬記念館の案内では普通車10台とされているため、利用場所や案内によって台数表記が異なります。
現地の表示や誘導に従って駐車してください。
桜の時期は早めの訪問がおすすめ
通常でも駐車可能台数は多くありません。
3月下旬~4月上旬の桜の時期や休日は、見学者や参拝者が増える可能性があります。
JR久留米駅から徒歩でもアクセスできるので、混雑を避けたい場合は公共交通機関を利用するのもおすすめです。
駐車場の利用状況や台数は行事などによって変わる可能性があります。周辺道路への路上駐車や、近隣施設への無断駐車は避け、現地の案内に従ってください。
久留米城跡へのアクセス
久留米城跡はJR久留米駅から徒歩圏内です。路線バスを利用すれば城跡近くまで移動でき、車なら九州自動車道久留米ICから約20分です。
JR久留米駅から徒歩約15分
鉄道を利用する場合は、JR久留米駅から徒歩約15分です。
JR久留米駅には九州新幹線も停車するため、福岡県外から城巡りをする場合にもアクセスしやすい場所です。
駅から歩ける距離なので、駐車場の混雑を気にしたくない方にも向いています。
大学病院バス停から徒歩約3分
路線バスを利用する場合は、JR久留米駅や西鉄久留米駅方面から西鉄バスに乗り、大学病院バス停で下車して徒歩約3分です。
公式観光情報では、系統番号8番などが案内されています。
バスの系統や時刻は変更される可能性があるため、利用当日に確認してください。
久留米ICから車で約20分
車の場合は、九州自動車道久留米ICから約20分が目安です。
久留米市中心部を通るため、平日の通勤時間帯や休日のイベント開催時などは所要時間が延びる場合があります。
時間には少し余裕を持って訪れると安心です。
久留米城跡と合わせて城下町も歩いてみよう
現在残っている久留米城は本丸部分が中心ですが、江戸時代の城郭はもっと広大でした。周辺の市街地まで歩くと、現在の久留米の町が城下町を基礎に発展してきたことが見えてきます。
かつては二ノ丸・三ノ丸・外郭まで広がっていた
有馬氏時代の久留米城は、本丸だけで完結していたわけではありません。
本丸から南へ二ノ丸、三ノ丸、外郭が配置され、さらに城下町が形成されていました。
城郭と城下町を区切る外濠は、現在の久留米市役所北側付近まで延びていました。
現在の街並みから江戸時代の城郭をそのまま想像するのは難しいですが、かなり大きな範囲が城と武家地だったことが分かります。
有馬氏の菩提寺・梅林寺も近い
久留米城と有馬氏の歴史をさらに知りたいなら、梅林寺も合わせて訪れてみたい場所です。
梅林寺は久留米藩主有馬家の菩提寺で、有馬豊氏が久留米へ入った1621年に現在地へ移されています。
久留米城だけでなく、城下町や菩提寺まで歩くと、有馬氏が久留米に築いた約250年間の歴史をより立体的に感じられると思います。
久留米城跡は石垣から21万石の城を想像できる
久留米城跡は、天守や櫓が復元された観光城ではありません。
しかし、本丸を囲む立派な石垣、内濠、井戸、御殿跡や櫓跡などが残り、筑後21万石を治めた有馬氏の居城だった姿を今に伝えています。
1587年に毛利秀包が入城し、田中氏の時代を経て、1621年には有馬豊氏が入城。大規模な城郭と城下町を整備し、その後11代にわたって有馬氏が久留米を治めました。
現在の本丸跡には篠山神社が鎮座し、有馬記念館では旧久留米藩主家に伝わった武具や美術工芸品などを見ることができます。
石垣を歩いて城の規模を感じ、有馬記念館で城主の歴史を知る。この2つを組み合わせると、久留米城跡をかなり楽しみやすくなります。
春には約49本の桜が石垣と濠を彩るので、歴史散策と花見を一緒に楽しみたい方にもおすすめです。
記事内の所要時間、料金、駐車台数、交通時間などの数値はあくまで一般的な目安です。有馬記念館の展示期間や開館日、駐車場、公共交通機関などは変更される可能性がありますので、正確な情報は公式サイトをご確認ください。
また、城跡には石段や段差、高い石垣などがあります。雨の日や足元が濡れているときは転倒などに十分注意し、立入禁止場所へ入らないようにしてください。健康や安全面について個別の判断が必要な場合は、最終的な判断を専門家にご相談ください。
久留米城跡の基本情報
| 住所 | 福岡県久留米市篠山町444 |
|---|---|
| 営業時間 | 城跡は見学可。篠山神社境内等の見学マナーに注意 |
| 定休日 | 原則なし |
| 駐車場 | 周辺駐車場を利用 |
| アクセス | JR久留米駅から徒歩約15分 |
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