
香川県高松市の十河城跡へ行ってみたいけれど、現在は何が残っているのか、どこを見れば城跡だと分かるのか気になりますよね。十河城跡は十川東町にある中世の城跡で、現在の称念寺を中心とする一帯が城域とされ、本丸跡、空堀、土橋、鷺の池などに往時の地形を感じることができます。
十河城は十河氏の居城として知られ、戦国時代には三好長慶の弟で鬼十河とも呼ばれた十河一存、そして十河存保が城主となりました。土佐の長宗我部元親による讃岐侵攻では激戦の舞台となり、三好氏や長宗我部氏の勢力争いを知るうえでも興味深い城跡です。
この記事では、十河城跡と称念寺の関係、十河一存や十河存保の歴史、長宗我部元親との戦い、現在残る空堀などの遺構、見学の所要時間、駐車場、琴電やバスを利用したアクセスまで、初めて訪れる方にも分かりやすく紹介します。
- 十河城と十河氏・三好氏の歴史
- 称念寺・本丸跡・空堀など現在の見どころ
- 長宗我部元親による讃岐侵攻と十河城の戦い
- 見学時間・駐車場・公共交通でのアクセス
十河城跡はどんな城?
十河城は山頂に築かれた山城ではなく、高松平野東部の台地を利用して造られた中世城郭です。現在は市街地や寺院となっているため、城らしい建物は残っていませんが、立地を見ると防御を意識した城だったことが分かります。
現在の称念寺周辺が十河城跡
十河城跡があるのは、香川県高松市十川東町です。
現在の称念寺を中心とする一帯が十河城跡で、寺の境内付近に本丸があったと考えられています。
城があった場所は周囲より少し高い台地です。
高松市の資料でも四方への眺望に優れ、城を築くのに適した場所だったとされています。
現在は住宅地や農地が広がっているため、一見すると「ここに城があったの?」と感じるかもしれません。
しかし周囲の高低差や空堀、池などを意識して歩くと、地形を防御に利用していた中世城郭の姿が少しずつ見えてきます。
高松市指定史跡になっている
十河城跡は1976年7月3日に高松市指定史跡となっています。
現在残る城郭遺構は多くありませんが、北側には空堀の名残が確認でき、西側には鷺の池、東側には急傾斜があります。
人工的な堀だけに頼らず、池や斜面といった自然地形を防御に利用した中世城郭だったことが十河城の特徴です。
十河城跡は天守や石垣を見る城ではありません。称念寺の境内だけでなく、北側の空堀、西側の鷺の池、周囲の高低差まで含めて見ると城の立地を理解しやすくなります。
十河氏と十河城の歴史
十河城の歴史は、讃岐の豪族だった十河氏と深く結びついています。南北朝時代から戦国時代まで続いた一族で、やがて畿内で大きな勢力を持った三好氏とも強く結びついていきました。
南北朝時代に十河氏の城となる
十河氏は、讃岐国山田郡で勢力を持っていた植田氏の一族です。
南北朝時代、豪族・植田景保の第4子である吉保が十河へ分家して城主となったことが十河氏の始まりとされています。
その後、存景、存春と続き、十河城は一族の拠点として使われました。
城が築かれた正確な年代については明確ではありませんが、南北朝時代から桃山時代にかけて長期間にわたり十河氏の居城として機能したと考えられています。
十河氏は讃岐の有力豪族へ成長
十河氏は単に十川周辺だけを治める小さな領主ではありませんでした。
戦国時代になると阿波を本拠とする三好氏との結びつきを強め、讃岐で大きな影響力を持つようになります。
高松市の文化財資料では、十河氏は国内の有力者をおさえて讃岐の旗頭となり、2万石を領した豪族と紹介されています。
その十河氏の中心に登場するのが、戦国武将として知られる十河一存です。
十河一存はどんな武将?
十河城を語るうえで特に知っておきたい人物が十河一存です。三好長慶の弟として生まれ、十河氏へ入り、三好政権を軍事面から支えた武将として知られています。
三好長慶の弟から十河氏の当主へ
十河一存(そごうかずまさ)は、阿波三好氏の出身です。
兄は畿内を中心に大きな勢力を築いた三好長慶でした。
十河氏では当主の存春(景滋)が一存を迎え、一存は十河氏の名跡を継ぎます。
こうして讃岐の十河氏と阿波の三好氏の結びつきはさらに強くなりました。
一存は兄の三好長慶を支え、四国だけでなく畿内の戦いにも参加します。
「鬼十河」と呼ばれた猛将
十河一存は勇猛な武将として知られ、後世には「鬼十河」と呼ばれるようになりました。
三好政権の軍事力を支えた人物のひとりで、各地の戦いで活躍しています。
十河城だけを見ていると讃岐の一豪族という印象を受けるかもしれませんが、一存の活動範囲は畿内まで広がっていました。
十河城跡を訪れるときは、「ここから全国史につながる武将が出ていった」と考えると、城跡の印象も少し変わるかなと思います。
一存の死後は十河存保が当主となる
十河一存の死後、三好義賢の子である十河存保(そごうまさやす)が十河氏の名跡を継ぎました。
存保の時代になると、四国の情勢は大きく変わります。
土佐から長宗我部元親が勢力を拡大し、阿波や讃岐へ進出してきたからです。
十河城は、長宗我部氏の讃岐侵攻に立ちはだかる重要な城となっていきました。
長宗我部元親と十河城の戦い
十河城が特に有名なのは、長宗我部元親による讃岐侵攻に対して激しい攻防が行われたことです。現在の静かな称念寺周辺からは想像しにくいですが、戦国時代には重要な戦場でした。
1582年に長宗我部軍が十河城を包囲
天正10年(1582年)、四国統一を目指す長宗我部元親の軍勢が讃岐へ侵攻し、十河城を包囲しました。
十河勢は籠城して抵抗します。
十河城は周囲の湿地や谷、台地の高低差などを利用した防御性の高い城だったため、長宗我部軍にとって簡単に攻略できる城ではありませんでした。
江戸時代の軍記物では、三方を深田や谷に囲まれ、南側を大手とし、土居や堀を備えた堅固な城として描かれています。
細かな軍勢の人数や戦闘経過については史料によって違いがあるため、数字をそのまま事実として見るより、長宗我部氏の讃岐侵攻に対する重要な抵抗拠点だったと理解するのが分かりやすいでしょう。
1584年に十河城が落城
長宗我部氏による攻勢はその後も続き、天正12年(1584年)、十河城は最終的に落城したとされています。
十河存保は城を離れ、備前へ逃れました。
これによって長宗我部氏は讃岐でさらに勢力を拡大していきます。
ところが、その翌年には豊臣秀吉による四国攻めが始まり、四国の勢力図は再び大きく変わることになります。
秀吉の四国攻めで存保が復帰
天正13年(1585年)、豊臣秀吉は大軍を四国へ送りました。
十河存保も秀吉方の四国攻めに加わり、長宗我部氏は讃岐から後退します。
存保は再び十河城へ戻ったとされますが、その期間は長くありませんでした。
翌1586年、九州征伐に従軍した存保は戸次川の戦いで戦死します。
十河氏の勢力は衰え、十河城も城としての役割を終えていきました。
十河城の歴史を見ると、讃岐の豪族である十河氏、阿波の三好氏、土佐の長宗我部氏、そして豊臣秀吉へと勢力関係が変化していきます。戦国時代の四国情勢をコンパクトに追える城跡でもあります。
十河城跡の見どころ
現在の十河城跡では、復元された櫓や門、大規模な石垣を見ることはできません。だからこそ、残された地形や寺院、案内板を手がかりに往時の城を想像しながら歩くのが楽しみ方です。
本丸跡と考えられる称念寺
十河城跡で最初に訪れたいのが称念寺です。
所在地は香川県高松市十川東町932で、現在の境内付近が十河城の本丸跡だったと考えられています。
称念寺は城が廃された後、十河氏や城で亡くなった将兵の菩提を弔う場所となりました。
城跡の中心に寺院が建っているため、ぱっと見ただけでは城跡らしさを感じにくいかもしれません。
門前には十河城跡の標柱や説明板があり、まずここで城の歴史を確認してから周辺を見ると分かりやすいです。
北側に残る空堀
現在確認できる城郭遺構として重要なのが、本丸跡北側の空堀です。
空堀とは、水を入れずに地面を掘り下げて造る防御施設です。
高松市も北側の空堀について、城跡の名残を明確にとどめる遺構として紹介しています。
長い年月の中で城域の多くが変化しているため、十河城を訪れるなら見落としたくない場所です。
土橋と北側の郭
北側の空堀付近では、堀によって区切られた城域をつなぐ土橋の地形も確認できます。
土橋は、堀を完全に掘り切らず、人が通る部分を残した通路です。
城への出入りを限られた場所へ集中させられるため、防御側にとって有利になります。
現在は周囲の景観が変化していますが、「堀で遮断し、通れる場所を絞る」という城の防御を意識すると見方が変わります。
西側の鷺の池
十河城の西側には鷺の池があります。
この池も城の防御を考えるうえで重要な地形です。
十河城では西側の池、東側の急傾斜、北側の空堀などを組み合わせ、敵が容易に城へ近づけないようにしていました。
城跡だけを見るのではなく、周囲の池や斜面まで含めて「城」として見るのが十河城跡を楽しむポイントです。
十河一存・十河存保ゆかりの場所
称念寺周辺には、十河一存や十河存保など十河氏に関係する墓所もあります。
城郭遺構を見るだけではなく、十河氏そのものに興味がある方なら合わせて訪れたい場所です。
ただし、墓所は観光用の展示物ではなく、現在も大切に供養されている場所です。
見学するときは静かに手を合わせ、敷地や周辺住民への配慮を忘れないようにしましょう。
十河城跡の所要時間は?
十河城跡は広大な山城ではなく、称念寺を中心とした比較的コンパクトな城跡です。どこまで周辺を歩くかによって滞在時間が変わります。
城跡だけなら30分前後がひとつの目安
称念寺、城跡の説明板、本丸跡周辺、北側の空堀など主要な場所を見るなら、30分前後をひとつの目安にするといいでしょう。
十河氏の墓所や周辺の地形を確認しながらゆっくり歩く場合は、45分から1時間程度あると余裕があります。
天守内部や大規模な復元建築を見学する城ではないので、丸一日必要になるような場所ではありません。
その一方で、歴史を知らずに境内だけを見て帰ってしまうと短時間で終わってしまいます。
訪問前に十河一存や長宗我部氏との戦いを少し知っておくと、残された地形から想像できることが増えますね。
城郭遺構だけを短時間で見るなら30分前後、称念寺や墓所、周辺地形までじっくり見るなら45分~1時間程度を一般的な目安として考えると予定を組みやすいです。
十河城跡の料金と見学時間
十河城跡は一般的な有料観光施設ではありません。現在の本丸跡には称念寺があるため、城跡見学では寺院への配慮が必要です。
城跡を見るための入場料は基本的にない
十河城跡には、城跡へ入るための通常の観覧券や入場ゲートはありません。
称念寺についても浄土宗の寺院として参拝可能と案内されています。
ただし、境内は現在も使用されている寺院です。
法要や行事が行われている場合は無理に見学せず、参拝者や寺院の方を優先しましょう。
明るい時間帯の見学がおすすめ
城跡そのものに観光施設としての営業時間が設定されているわけではありませんが、空堀や周辺地形を確認するなら明るい時間帯がおすすめです。
住宅や農地もある地域なので、早朝や夜間に城跡探索をする必要はありません。
写真撮影についても、寺院の建物、墓所、法要中の参拝者などには十分配慮しましょう。
十河城跡へのアクセス
十河城跡は高松市中心部から少し離れた十川東町にあります。車が便利ですが、公共交通機関を組み合わせて訪れることもできます。
車なら高松東ICから約15分が目安
車の場合は、高松自動車道の高松東ICから約15分がひとつの目安です。
目的地は本丸跡に建つ称念寺を基準にすると分かりやすく、住所は香川県高松市十川東町932です。
城跡周辺は生活道路も含まれるため、大きな道路から寺院へ近づく際はスピードを落として走行しましょう。
琴電長尾線から徒歩で向かう方法もある
公共交通機関では、ことでん長尾線の駅から徒歩で向かう方法があります。
資料によって最寄り駅や徒歩時間の案内に差があり、池戸駅から徒歩約20分とする案内もあれば、それ以上の時間を見込む案内もあります。
そのため、電車を利用する場合は乗車前に現在利用できる徒歩ルートを地図で確認しておくのがおすすめです。
駅から城跡まで歩く予定なら、往復の徒歩時間も含めて余裕を持っておきましょう。
バスならフジグラン十川方面を利用
高松駅方面からは、ことでんバスでフジグラン十川方面へ向かう方法もあります。
フジグラン十川のバス停から称念寺までは徒歩移動が必要です。
高松市が過去に実施した文化財学習会でも、フジグラン十川周辺を起点として十河城跡などを巡るコースが設定されていました。
バスの路線、運行本数、時刻は変更されることがあるため、訪問当日の時刻表を確認してください。
駐車場はある?
車で訪れる場合に気になるのが駐車場所です。十河城跡には城跡専用の大規模な観光駐車場が整備されているわけではありません。
称念寺には参拝者用駐車場がある
称念寺には参拝者用の駐車場があります。
ただし、あくまで寺院の参拝者用駐車場です。
城跡観光客専用の公共駐車場とは性格が異なるため、法要や寺院行事などが行われている場合は利用状況に配慮しましょう。
長時間の駐車や、周辺散策のために無断で車を置いたままにするような利用は避けたいところです。
駐車場の利用条件や周辺道路の状況は変更される可能性があります。車で訪れる場合は、現地の案内を優先し、私有地や生活道路への路上駐車はしないようにしてください。
十河城跡を訪れるときの注意点
十河城跡は史跡であると同時に、現在も寺院や住宅がある生活空間です。一般的な観光城郭とは違う点を理解して訪れると、気持ちよく見学できます。
称念寺は現在も使われている寺院
本丸跡と考えられている称念寺は、城跡を保存するためだけの施設ではありません。
現在も浄土宗の寺院として使われています。
境内を見学する際は、参拝者や法要を優先し、立入禁止となっている場所には入らないようにしましょう。
墓所の写真を撮影するときも、供養の場であることを意識したいですね。
空堀を見るときは足元に注意
北側の空堀など城跡らしい地形を見る場合は、足元にも注意してください。
雨の後は斜面や草地が滑りやすくなる可能性があります。
無理に堀底へ降りたり、私有地と思われる場所へ入ったりする必要はありません。
公道や見学可能な場所から地形を確認するだけでも、十河城の構造を十分想像できます。
城跡周辺には寺院、墓地、住宅、農地などがあります。現地の案内や立入制限を必ず守ってください。足元や安全面に不安がある場合は無理をせず、安全に関する最終的な判断が難しい場合は医療・福祉などの専門家にご相談ください。
香川県のほかの城と見比べるのも面白い
十河城跡は土と自然地形を利用した中世城郭です。香川県内の近世城郭と見比べると、城の造りが時代によって大きく変わったことが分かります。
丸亀城では石垣と現存天守を見られる
十河城とは対照的な城として分かりやすいのが丸亀城です。
十河城跡では空堀や池、台地などから城を想像しますが、丸亀城では大規模な石垣や現存木造天守を見ることができます。
十河城の時代から近世城郭へ、城の造りがどう変化したのかを比較すると面白いですね。
丸亀城へ行く予定がある方は、丸亀城の回り方と天守までの所要時間も参考にしてみてください。
十河城跡は三好氏と長宗我部氏の歴史を感じる城跡
十河城跡は、現在の称念寺を中心とする台地に築かれていた中世城郭です。
天守や櫓、壮大な石垣は残っていませんが、本丸跡と考えられる称念寺、北側の空堀、西側の鷺の池、東側の急斜面などから、自然地形を巧みに利用した城だったことが分かります。
そして十河城の魅力は、城郭遺構だけではありません。
南北朝時代から続く十河氏、三好長慶の弟として知られる十河一存、十河存保、讃岐へ侵攻した長宗我部元親、さらに豊臣秀吉の四国攻めへと歴史がつながっていきます。
現在の静かな寺院と住宅地を歩きながら、かつてここで四国の戦国史を左右する攻防が行われていたことを想像するのが、十河城跡の楽しみ方かなと思います。
城跡の見学自体は30分前後、周辺までゆっくり見るなら45分から1時間程度を一般的な目安として考えるといいでしょう。
アクセス、公共交通、駐車場、寺院の行事、見学可能な範囲などは変更される場合があります。正確な情報は高松市などの公式サイトをご確認ください。安全や身体状況について判断が必要な場合は、無理をせず最終的な判断は専門家にご相談ください。
十河城跡の基本情報
| 住所 | 香川県高松市十川東町・称念寺周辺 |
|---|---|
| 営業時間 | 寺院境内・城跡碑など公開範囲を見学 |
| 定休日 | 原則なし。寺院・周辺住宅地に配慮 |
| 駐車場 | 周辺駐車状況を確認 |
| アクセス | ことでん長尾線池戸駅・高田駅方面から車・徒歩利用 |
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